自作の小説など。

Step by Step  豊田元広・著

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第3話(1)

 少し前に言った記憶のある言葉だが、高校の頃までは、バンドなんて俺のいる世界とは別の世界にいる人間がやることだと思っていた。まして自分が、あの頃ただの騒音メーカーとしか思っていなかったような、そんな楽器を手にすることになるとは、誰が想像できようか。
 軽い気持ちで足を運んだこの明和大学軽音楽サークル、通称「明軽(めいけい)」。この間のバンド組み大会の途中くらいから、その選びが間違いだったと言うことを痛感し、静かに消え去ろうと思っていたのに、まさか、おおよそ一時間、混沌空間の中を、何もできないままさまよい続けて、その終盤のわずか五分程度でバンドが組めてしまうとは一体どういうことなのか。
 しかもバンドを組んで、今までやったこともなかったし、その存在についてすらも知らなかったベースとやらを担当することになるとは、一体どういうことなのか。以上二点について、誰かわかるヤツがいたら、俺にわかりやすく説明して欲しい。

 今の時点で俺がベースについてわかっていることは三つ。一つ、それはギターとは別に存在する楽器であるということ。二つ、それは弦の数がギターより二本少ないということ。そして三つ目、出る音もギターに比べてすこぶる低いと言うこと。
 これだけの、いや、この程度の情報で、一人楽器屋に向かってベースを買おうと思うほど俺もバカではない。もう少し情報収集をしようと思い、地元の本屋に行ってみた。

 昔立ち寄っていた参考書コーナーの近くに、「音楽」と書かれた看板のあるコーナーがあった。そこに行ってみたはいいものの……
「お、多いな、これ……」
 ベースをテーマにした本だけで、ざっと見てみると「15日でベースをマスターできる本」「これであなたもベーシスト」「ベース初心者のためのガイドブック」などなど、何種類もある。どれを読めばいいんだよ、これ……。
 とりあえず「ベース初心者のためのガイドブック」という本を手にとってみる。開いてみると、なんだかわけのわからないカタカナが飛び込んできた。
 シールドって何だ。
 チューナー? ラジオか?
 スラップ? スリップとは違うのか?
 そして極めつけは、巻末にあった……てぃーえーびー譜って読むのかこれ? なんか有名な曲の楽譜らしいが、そこにあったのは普通のオタマジャクシ状の音符ではなく、なにやら数字が書かれた不思議な音符もどき。

 はっきり言おう。さっぱりわからない。

 何度読み返しても、難しい言葉ばかり。誰かの視線を感じても、それが気にならないくらいに読んでいると、なんとなくわかった気にはなるが本当にはわからない……
「ひーろーたーかー!!」
 本読みに熱中していた俺の目の前に、いきなりヌッと現れた幼馴染の顔。
「もう……過去問集を買いに来ようと思ったら浩孝がいると思って呼んでみたのに、何度呼んでも反応してくれないなんて!」
「ご……ごめん」
「っていうか……それベースの教本!?」
「え? あ、ああ……」
「ってことは、浩孝……バンドするの!?」
「うん、まあ……そういうこと」
「えーーっ!? 信じられなーい!!」
 俺だって信じたくないよ。
「ってことは軽音サークル入ったってこと?」
「う、うん、まあ……」
「えー! すごーい!」
 どうすごいのやら。
 結局この日、本は買わなかった。が、またいつかの時みたいに、帰り道をこの幼馴染とともにすることになった。
「で、何やるの?」
「フォーステップス……」
「すごーい!」
「えー、曲とか決まってるの?」
「いや、曲は決まってない……。今度の水曜に決めることになってるから……」
「へぇー……」
 今回は俺自身、この世界に飛び込んでいいのかという抵抗感があって、自信を持って朝倉と話すことができない。駅から俺の家まで、大体徒歩十分程度。その間、前のときほど不思議な気持ちはしなかったが、別の重い気持ちが俺をずっと支配していた。

         ◆        ◆        ◆

「こうやって、ベースの音量も全部切って、アンプの音量もゼロにして電源を切っていることを確認してから、シールドをアンプに繋ぐようにしてくださいね。それから音を出すときは……」
 今俺は、駅ビルの中にある楽器屋にいる。そしてなんか、ベースの使い方について、楽器屋の若い店員さんから、何やら色々な説明を受けている。
「じゃあ、ちょっと試しに音を出してみましょうか……ちょっと持ってみて下さい」
「え? あ、は、はい」
「今は、左手は軽くここを支える感じで……そうそう。で、右手にこのピックっていうのを持ってもらって……はい、じゃあ、このピックで、ここの弦をはじいてみて下さい」
「は、はい……」

 ドワァァァン!

「!?」
 耳を突き破るような、とんでもなく低い音が回りに響き渡った。思わず俺ものけぞりそうになった。
「うん、音は問題ないですね。あとこの本も付けておきますので、頑張って練習して下さいね」
 なんてこった。こんな低い音を扱うのか、俺は。
 福沢諭吉さんが五人ほど消え、代わりに俺の荷物に、重いベースと、小さいけど重さが半端ないアンプ、そして、ベースと一緒に買うのを勧められた、なんか付属品を色々詰め込んだセットが加わった。俺の想像以上だ……このアンプはまぁいいにしても、ライブで楽器を弾いている人達は、こんな重いものを肩から提げて演奏していたのか。

 家に帰り、まずは楽器屋の店員さんが一緒に付けてくれた「ゼロからはじめるロック・ベース」という本を見ながら、実際に楽器屋でやったように音を出してみるか……
 えっと……アンプをセットして……
 で、このコード……じゃなくてシールドか。これをベースとアンプにつないで……あ、その前に音あわせ……そう、チューニングとかいうのをしなきゃいけないんだっけ……
 えっと……チューニングには、このチューナーを使えば良いんだよな……あ、電池がいるのか、これ……探さなきゃ……た、単四使うのか!? 単四なんてウチにあったか!?

〜三十分後〜

 はあ……はあ……まさか我が家の単四電池がちょうど全部切らしていたとは思わなかった……
 で、この電池を……チューナーに……と。
 んで? シールドを……ここにつなぐのか。スイッチを……入れて……と。

 べちーん。

 あ、アンプつないでないとこんな音なのか……。
 あ、チューナー見てなかった! ……えっと……こんな針が右に寄ってるのは……チューニングが正しくないってこと……なんだよな。
 じゃあ……この銀色のネジを回して……あ、もっと振り切れた! 逆方向か……あ、行き過ぎた……あ、また! あ、くそ、また……

  〜五分後〜

 はぁ……やっと全部の弦……チューニング終わった……。
 さて……じゃあ……アンプにつないでみるか……えっと、ちゃんとアンプの電源を切って……音量ゼロ、ベースの方も音量をゼロにして……よし。
 んで……電源入れて……それぞれの音量つまみを調整して……なんかサーッって音が聞こえるな……よし、じゃあ……

 ドワァァァン!

「!?!?」
 思わずのけぞりそう、というレベルを超えて、部屋の中でひっくり返りそうになった。さっきの店の中はザワザワしていたけど、部屋の中だから余計響くとかそんな問題じゃない。根本的に音量の調整を間違えていたのだろう。
「ちょっと、なんて音出してるの!! 下まで響いて、何の家具が落ちたのかと思ったじゃないの!!」
「おい、浩孝、隣の成美ちゃんに迷惑だろ!! そうでなくても夜なんだから、夜は音だすんじゃねぇ!!」
「浩(ひろ)ぉー、あんたいつからそんなベースとか持つようになったのぉ!?」
 す、すみません……
 家族総出で怒られた……一軒家だからよかったものの、これ、マンションとかだったら、上下左右の部屋の住人からも怒られて、下手したらナイフか日本刀持った住人が俺の部屋に押し入って、首でもかっ切られていたのではなかろうか。

 しばらくして、解説書を読みながらベースを触ってみる。家族からこっぴどく絞られたので、もうアンプにはつなげない。アンプの電源もしっかり切って、シールドも外している。
 えっと……こうやって……ふれっと? を左手で押さえて……結構痛いな、この弦って……太いだけあるな……
 「ドレミファソラシドをベースで弾いてみよう」というのがあってやってみたが、弦を押さえるのが痛いし、その指を押さえる場所を変えるのも一苦労。本当にこんなので、俺はバンドの中でベーシストとしてやっていけるのだろうか?

 明日は水曜日。朝八時半スタートの一限目から必修科目があって、しかも三度休んだら単位がもらえない、遅刻すら認められないという超厳しい科目のため、高校の頃と同じどころかそれより早く起きなければならない。
 そして……俺たちのバンドが久しぶりに集合する日……か……
 もうどうにでもなれだ。まだスタジオの日が近いわけでもないし、ベースができてなくても死にゃあしないさ。寝る!
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