自作の小説など。

Step by Step  豊田元広・著

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第4話(5)

 午後の講義が終わった。時刻は二時半。今日も練習のため、集合時間は夜七時。今日は、先週行ったスタジオに直接集合、とのこと。
 つまり、今から四時間半も暇なのだ。いや、実は暇ではないのかもしれない。というのも、さっきの授業で、レポート課題とかいうのを出されたから。ちなみに俺の大学生活初のレポート課題である。これが……大学生が一度と言わず何度も苦しめられることになる代物・レポートか……!
 しかも、そのレポートを書くためには、なんか本を最低一冊読まないといけないらしい。普段マンガしか読まない俺にとって、「活字の本を読め」的なレポート課題は酷だ。その昔、中学の頃、やはり同じように本を読む課題があったときも、本を読み始めてわずか五分、ページ数にして僅か五・六ページ程度で寝たことがあるといえば、いかに俺が活字大嫌いな人間か理解していただけるであろうか。
 しかしそんな本をわざわざ買いに行くのもあれなので、図書館へ行くことにした。図書館に行くなんて、これまた何年ぶりであろうか。子供の頃はよく電車に乗って隣町の図書館まで行って、絵本とか紙芝居とかを何冊も借りていたんだけど、いつからこんなに本を読まない人間になってしまったのだろうか……。
 中に入ると、右にカウンター。左には閲覧用の机が所狭しと並べられている。そして、奥の方に棚が見える。あの辺にきっと探したい本もあるのだろう。えーっと……どの棚に行けばいいんだ?

 ……二十分後。
 ようやく俺が探そうとしていた本のありそうなエリアにたどり着いた。ここにたどり着くまでにどんだけ苦労したことか……。
 えーっと……でもジャンルがいろいろあって、実際に手に取ってみないことにはなんともいえない。よし、この本……
「「あ」」
 えっと……これは何のドラマなんでしょうか。ある一冊の本を手に取ろうとした俺の手と、おそらくは同じ本を手に取ろうとした女性の手が見事なタイミングで重なり合った。
「ご、ごめんなさい!」
 慌てて手を引っ込めた。
「あ、いえ、すいませ……あれ?」
「……え?」
「か、金山君!?」
「ふ、ふ……藤原さん!?」
 なんという偶然なんだ。こんなところで藤原さんと遭遇してしまうとは。てか、こんな、本棚で男女の手が重なり合うって、どこのドラマだよ。
「ど……どうして……ここに!?」
「あ、その……さっきの講義で……レポートのための本を借りに来ようと思って」
「え? ひょっとしてその講義って……三限目の……」
「あ、そうです、あの……明智さんの第一社会学」
 要は同じ講義を取っていた、ということらしい。なんてこった。今までもうこの講義も七・八回受けているのに、一度もその存在に気づきすらしなかった。まぁ、この講義って結構人気の講義らしく、五・六百人は軽く入りそうな講義室を使っているので、仕方がないのかもしれないが……
「でも……なんか心強いです」
「え?」
「あ、いや、この講義を取ってる人が私の周りでは全然いなかったんです……他の講義はてるりんとかと一緒に取ってるのが多いんですけど、この時間だけはてるりんも別の演習が入ってしまっているらしくて……」
「そうなんで……そうなんだ」
「…………」
「…………」
 図書館だからというわけではないが、二人の間にしばし沈黙が流れる。
「あ、あの、本借りるんじゃなかったの? この本……」
「あ、でも、金山さんもこれ借りようとしていたんじゃ……」
「「…………」」
「……とりあえず、いったん……外でゆっくりお話ししませんか?」
 そう切り出したのは、藤原さんのほうであった。

 いつも俺が昼休みに弁当を食べている中庭のベンチに腰掛ける男女二人。結局本はどちらも借りずに、他の本も借りずに外に出てきた。
「ごめんなさい、私、やっぱり人と話すのが苦手で……」
「いや、藤原さんが謝る必要は……ない……ですよ。僕の方こそ……人と話すのがあまり得意じゃなくて……すみません」
「や、そんな謝らないで下さい……」
「「…………」」
「と、ところで」
「はい?」
 俺の方から会話を切り出せた。今までこんなこと滅多になかったのに。
「さっきの本……どうします?」
「あ、どうしましょう……同じ本使うと……似たようなレポートになって怒られたら嫌ですもんね……」
「あーそっか……それもありますねぇ……」
「ねぇ……」
「とりあえず……お互いもう一回本を探し直しに、図書館戻ります?」
「あ、私別の本使いますから、金山さんあの本使っていいですよ」
「え!? い、いや、そんなとんでもない、藤原さんこそあの本を」
「いや、私、何冊か選んでその中から決めようと思ってたので……他にも本考えてたので、あの本使って下さい」
「そ、そうなんですか……?」
「ええ、大丈夫ですよ」
 そう言うと藤原さんは少し表情を緩めた。
「ところで、金山さん?」
「はい?」
「来週から……一緒にあの講義受けませんか?」
「え? そりゃ今も同じ講義取ってるじゃ……」
「あ、そうじゃなくて、席近くにしませんか? そうすれば講義終わった後とか、お互いに気になったこと相談し合うこと出来ないかなって。私いつもてるりんとそれやってるんで……」
 なんだこれ。
 あの漫画「恋の予備校生」の主人公が、大学合格後、一緒の講義を取っている可愛い女の子に「隣座っていい?」とか「困ったときノート見せ合いしようね」とか言われている場面があった。
 まさかそんな場面を実際に俺が今こうやって来週から味わうことになるとは、その漫画を読んでいた頃は夢にも思っていなかった……ていうか、これ、夢じゃないよな?
 ……痛い。頬をつねってみたが、痛い。
「……か、金山君?」
「ふぇ?」
「何してるんですか?」
 よほど頬が歪むくらいつねっていたのだろう。あまりにも変な顔だったらしく、藤原さんが変な目をしながら尋ねてきた。
「あ、いや、その、なんでも……ないです」
「そうなんですか?」
 そう言うと藤原さんは少し小首をかしげた。と同時に、右手の人差し指をあごのあたりに軽く当てた。
 な、なんだ、この可愛さは!? なんかこれ、漫画とかなら「ズキュウウウン!」とかいう効果音出てるんじゃねーかな、俺から……
「……じゃあ私、図書館戻りますね。今日はスタジオよろしくお願いします!」
「え!? あ、ああ……お疲れ様です……また後で」
 そう言って、その人は軽やかなステップで図書館の方へ向かっていったが、俺はしばらくその場から動けなかった。
 それにしても……今日は昨日に比べてやけに暑いな……予報では今日の気温って昨日と大して変わらなかったはずなんだけどなぁ……

        ◆        ◆        ◆

「お時間になりまーす、お疲れ様でしたー」
 スタジオ店員さんの声。今日の練習終了の合図である。

「じゃあ今日も一三〇〇円お願いしま〜す。」
「「「「はーーい」」」」
「この後はどうする? また今日もあのレストラン行く? それとも別のお店でもいいけど」
「あ、じゃあ、ラーメン屋行きたいです! なんか噂で、あそこのラーメン屋さんって超有名なお店って聞いたんですけど」
「ああ、あそこは有名だよ。全国チェーンの本店だからね。みんなも行く?」
「行っきまーす!」
「私も……行ってみたいです」
「え? じ、じゃあ、僕も……」
 かくして、本日のスタジオ後の晩ご飯タイムは、稲葉さんによる鶴の一声で、スタジオの近くにあるラーメン屋へ行くことになった。このラーメン屋、名前はあちこちで聞いたことがあったが、まさかここがその総本山だったとは。
 五・六人は座れそうな席に通され、俺以外の元気な一年生三人組が横一列に並び、元気のない一年生(俺)と二年生の寺本さんがその反対側に座る。
 全員がメニューを注文し、それが出来るまでの待ち時間、隣の寺本さんから話しかけられた。
「そういえば金山君、美鈴さんとこの間なんか話したんだって?」
「え!? あ、はい、部室で……期待してるよ、みたいなこと言われて……えー、俺そんなに上手くないよー、って思ってるんですけど……」
「いやいや、技術とか、観客を盛り上げることってのも勿論大事なんだけど、ライブで大事なのって、どれだけ楽しんで出来るか、じゃないかって思うんだ、僕は。やっぱり演奏している側も楽しければ、それってきっと観客にも伝わるはずなんだよ」
「は、はぁ……」
 その言葉で思い出すのは、やはりあのときの黒田である。
 本人は否定していたが、観客席にいた俺から見たら、あいつはとても楽しそうに見えた。それを見て「楽しそうだ」と感じたから、俺は今こうしてここにいるわけだ。
「金山君の場合、この間のスタジオ……あ、もちろん今日もなんだけど、それで思ったのが、その楽しんでやってる、ってことだったわけ。確かにベースを始めて第一回目のスタジオだったし、演奏で凄く精一杯だったんだろうけど……あ、なんかごめんね、すごく上から話してるみたいになっちゃって」
「あ、いえ……それは大丈夫です」
「美鈴さんも去年の今頃からベースを始めたんだけど、最初の頃すごくそれで苦労したんだよね……自分の演奏で本当にいっぱいいっぱいだったから」
「そうなんですか……」
 確かに一瞬楽しいと感じたことはあったが、それ以上に俺もスタジオではまだまだ演奏の方で精一杯だ。むしろ今の話を聞いていると、美鈴さんの方に近いんじゃないかと思うんだが、俺からはわからない何かがあるのだろうか……?

「あっはははははは!」
 その笑い声で向かい側の席を見ると、元気な一年生が三人ほど仲良く談笑しているではないか。
 なんか……これこそ大学生、って感じだよな。俺みたいに年上の先輩と辛気臭いトークを繰り広げている人間なんて大学生じゃねぇ。こうやって同い年の男女が和気藹々とお喋りしてお喋りして、朝まで語り明かす……それこそが俺の思い描いていた大学生像じゃなかったのか。俺はどこで道を誤ったのだろう。
「俺のお気に入り? やっぱり上川(かみかわ)絵美(えみ)かなー。あの元気な感じがたまらないんだよなー」
「あ〜……上川絵美はいいよねー。私の目から見てもホントに可愛いもん、あの子」
「確か……年齢でいうと……俺らと……同じくらいだったっけ?」
「うん、確か同い年か一個下くらいじゃなかった?」
「だよなー」
 ……どうやら好きな芸能人のタイプで盛り上がっているらしい。ちなみに上川絵美とは、ある人気アイドルユニットのメンバーで、その中でも特に可愛いと、男女問わず人気が高い。テレビのCMや番組、雑誌の記事や広告、グラビアなど引っ張りだこで、俺も……まぁタイプといえばタイプなのかもしれない。
「じゃあさぁ、逆に女子から見た『好きな男性タレント』ってどうなの?」
「あー……そうねー、私は榎戸三郎が好きだなー」
「お〜……渋くいくねぇ」
「そう?」
 榎戸三郎、名前こそ渋いが今を時めくイケメンタレントの一人である。確か……朝倉の話だと、「恋予備」のドラマで主演してる……とかだっけ? ちなみに俺は最近のイケメンタレントが一切わからない。ドラマも見ないのでなおさらである。
「藤原さんは?」
「えー……私……あまりそういうのわからなくて……そんな『誰が好き』ってのもあまりないんです……」
「えー、ちーさぁ、前になんか似たような話したときに言ってなかった? お気に入りのキャラって……確か……ミューズの桜庭(さくらば)くん?」
「え!? あたし……そんなこと言ったっけ!?」
「ほらー、やっぱりいるじゃん、そういうの〜。そんなに恥ずかしがらなくてもいいのに〜」
「え……ちょっ……そ、そんなんじゃ……」
 そういうと藤原さんは文字通り顔を真っ赤にして、テーブルの上においてあったラーメンのメニューで顔を隠すようなしぐさを取った。
「ほら、またそういう行動がさ〜、ホントに歌も上手くてそこまで可愛いなんてね〜」
「ちょっと、秋田君!」
 たまらず横に居た稲葉さんが止めに入ったが、なんかこうやって藤原さんにちょっかいをかける秋田のことが、何故だかすごく気に入らなかった。と同時に、そんな藤原さんが少しかわいそうにも思えた。
 ……なんなんだろう、この気持ちは。
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