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Step by Step 豊田元広・著 | |
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第3話(3)へ戻る | |
第3話(4) 大学へ戻る電車の中で、最近の電車でよく見かける、ドアの上に取り付けられたテレビみたいな物にふと目をやると、ちょうどニュースが流れていた。四十歳を過ぎても、衰えを知らずに先発の柱として活躍してきたプロ野球の投手が、今季限りで引退を表明した、というものだった。 そうか、あの大投手も引退か…… そういえばプロ野球選手ってのも、ああやって一軍のグラウンドで何千何万のファンから歓声を浴びるのも、何年も練習を積み重ねてきた結果……なんだよな…… いや、別に野球だけじゃないよな、そんなの……目だって歓声を浴びる裏には、目に見えない努力って……やっぱり必要だよな。 軽音も……同じこと……なんだろうな…… 時刻は六時半。約束の時間ばっちりだ。 こん、こん。 「はーい」 ドアを開けると、そこには秋田と稲葉さん、それに……藤原さんもいた。 「寺本さん、ゼミの都合があるからちょっと遅れるって」 「あ、そうですか……どうも」 「だーかーらー、なんでお前いつも敬語なんだよぉ?」 「す、すんません……」 「…………」 「ぷふっ」 稲葉さんに……笑われた……? 藤原さんも、なんか「くすっ」と笑ったような気がしたのは、俺の過度の妄想癖が見た幻視なんだろうか。 とりあえず椅子があったのでそこに座り、寺本さんが来るのを待つことにしよう。 「金山くん、だったよね?」 「あ、はい。えっと……稲葉さん?」 「うん、キーボードの稲葉輝代です。あまりその稲葉って苗字で呼ばれることは少なくて、皆からは『てるりん』って呼ばれるんで、よろしくね」 「あ、よろしく……」 「先週バンド組んでから、あまりこの部室来てなかったよね?」 「え? ああ、まあ……」 「他の皆は普通に来てたよー、授業と授業の間で暇があるときとか、放課後ちょっと暇があったときとか。この秋田君なんか毎日来て、毎日違う女の子とご飯食べに行ってるんだもんね〜」 「ちょ……! 人聞きの悪いこと言うなよ! ただ単に、俺は水橋(みずはし)先輩や淳平(じゅんぺい)先輩について行ってるだけで、たまたまそのとき一緒に、違う子がついてきただけなんだ!」 「苦しいねぇ〜」 「…………っ!」 返事に窮した秋田が、顔を紅くして、文字通り唇を噛んでいた。しかし、水橋さんだの淳平さんだの言われても、今の俺には理解できない。ましてその二人がそれぞれどのポジション……というかパートかなんて、余計わからない。 「ま、いずれにしても、金山君?」 「は、はい」 「部室においでよ、こういう集合のないときでも。彼みたいに色々な先輩や同期の皆と絡むことができて楽しいよ?」 「は、はぁ……」 人と喋るのが、とりわけ面識の少ない人間と喋るのが苦手な俺は、バンドを組んだ日以来、自然とこの部室からも遠ざかっていた。なんか、「あの日バンドを組めずにうろつきまわっていたヤツ」として認識されているかもしれないという無駄な被害妄想が、俺をそうさせていたのだろうか、それとも、本当はこんなサークル消え去りたいという俺の深層心理が、俺をこのサークルから遠ざけていたのだろうか。 ……そういえばさっき、「他の皆」って言ってたよな……ということは、藤原さんも部室に来てた、ってこと……なのか? 聞いてみようかと思った、そのときだった。 ガチャっ。 「お待たせ! いやー、源(げん)ジイ……あ、うちの教授、結構話し始めると長いから……ごめんね、早速始めようか!」 やっと主役(?)が登場して、今日の集まりの本題になった。 今回のライブについて、寺本さんから伝えられたのは次の三点。 一つ、あの日を見てわかるとおり、何十人ものメンバーがいくつもバンドを組んでいる。だからバンドの数も非常に多いので、一つのバンドについて、ライブに与えられる時間はおおよそ十五分。つまり三曲程度が限界ということ。 二つ、今日曲を決めた後スタジオに入って練習するが、レンタルスタジオを使うらしい。そのお店はこの大学から歩いて十分程度のところにある本店か、電車で二駅行ったところにある支店の二箇所があるということ。 三つ、当日の全部のバンドの中で、もっとも良かったと上級生が判断した演奏者やバンドが、後で表彰されるということ。 「三曲……ですか」 「うん、でも一曲を集中して練習するところもあるし、がっつり三曲やるところもあるけど、間をとって二曲、ってバンドが結構多いかな。僕たちはどうする?」 『うーん……』 「まぁ、やりたい曲をやるってのが一番なんだけどね。誰か『これやりたい!』っていうのはない?」 「……盛り上がる曲がいいなー、って思うんですけど……」 秋田が言う。盛り上がる曲、ねぇ……フォーステップスだったら普通に楽しい曲もあった……よな? 最近音楽から少し離れ気味だったから覚えてないや。 「盛り上がる曲ねぇ……じゃぁ……」 そう言いながら、寺本さんは手に持っていた分厚めの冊子をペラペラとめくる。 「……うん、『恋の炎』とか『ネイビーブルー』とかはどう?」 「おお、いいですねぇ!」 「あ、私もそれで行きたいです」 「オッケーでーす」 「恋の炎」と「ネイビーブルー」。普通にどっちもシングルでトップテンにはあがってた曲だったよな。俺もこの曲はそんなに嫌いじゃない。 「金山君はどう?」 「え? あ、ああ……あの、スコア……って……見てもいいですか?」 「ああ、そうか、ベース初めてだもんね、はい」 そう言って、寺本さんはさっきまで持っていた分厚めの冊子を俺に手渡してくれた。その冊子は、表紙にフォーステップスの四人の顔がイラストで描かれていて……あ、これ、確かベスト盤のジャケット……だったっけ? ページをめくると、目に飛び込むのはひたすら楽譜、楽譜、楽譜。これがスコアか……。見ていくと、さっき言っていた「恋の炎」とか「ネイビーブルー」とかのスコアと思しきページも見当たった。下のほうに「Bass」と書かれた楽譜があるから、俺の担当はここになる、のかな? 黒田の言うとおり、楽譜があまりややこしくないやつがいいなぁ、と思って見てみたが、俺は愕然とした。「ネイビーブルー」のほうだが、なんかとんでもない音符の連続があるぞ、これ…… 「どうしたの?」 「いや、これ……このベース……」 「んーと……あー……ちょっとオクターブが多いなぁ、それにスラップしなきゃいけないのもあるなぁ……初めてでこれはちょっと厳しいかもなぁ……」 ベースが厳しい……だと? ふとこの間見た悪夢が頭をよぎる。あまり難しいベースだと、俺もついていけないかもしれない。そうしたらあの夢が正夢になってしまうと考えると……あの悪夢が脳裏によみがえる。俺のベースが……通用しないと思うと…… 「金山くーん?」 「…………はっ!」 危ない危ない、またどっかにトリップしかけていた。 「この様子だと、『ネイビーブルー』はきついかなぁ?」 「え? あ、うーん……そうですね……」 今の俺にはオクターブだのスラップだの言われても全くわからない。なんかあっちのメンバーから受ける視線が痛い……と思うのは俺の被害妄想だろうか。 「うん、じゃあ無理することはないよ、別の曲探そう!」 そんな俺の極限状態を真っ先に解放したのは、意外にも秋田だった。ちょっと髪が長めの、いわゆる「ロン毛」(死語)で、なんとなく目つきも鋭い。おまけに、なんか右耳を見ると、銀色の輪っかが二つほど耳たぶを貫いている。なんか俺が高校の頃、軽音やってたヤツら、というイメージを地で行く感じだったので、初めて夕食会で会ったときから、少し怖いイメージを持っていただけに、その秋田の口からそんな言葉が出るのが少し意外だった。本当に、「人は見た目が○割」と言うべきなのか、「人は見かけによらない」と言うべきなのか…… 「あ、あとの二人も曲は変えてもいい?」 「あ、私は、フォーステップスなら何でもいいです!」 「私も別に気にしないよー」 「そっかー……じゃぁ、あまりベースも難しくないあたりで、盛り上がりやすくて…………『紅(くれない)』とかはどう?」 「おぉ!」 「いいねー」 「いいですね!」 どれどれ……なるほど、あまり音階の移動はなさそうだな…… 「はい、多分いけると思います」 「よし、じゃあスタジオの日程を決めようか!」 かくして、人気ガールズバンド「フォーステップス」のコピーバンド「ファイブステップス」が本格始動することになる。 …………足だけは引っ張らないようにがんばろう。 |
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