自作の小説など。

Step by Step  豊田元広・著

第4話(1)へ戻る
第4話(2)

「みんな来てるー? じゃあ、行こうか」
 いよいよスタジオとかいうところに行く時間になった。大学を出て、いつも駅の方へ帰る方向とは真逆に歩き出して、上り坂の続く並木道をひたすら歩くこと約十分。雑居ビルの横にある階段を下ると、何やら電球色に照らされた部屋が見える。
「あ、お疲れ様でーす、寺本さんですね、Cスタジオへどうぞー」
 そう言って案内された部屋は、まるで銀行の金庫みたいな、重たい鉄の扉を二枚開けた先にあった。ドラムがセットで組まれていて、その周りに何個か大きなアンプが並んでいた。すげぇ……みんなこんなところで練習するんだ……壁は、高校の音楽室よりもしっかり防音の設備が整っている。なんか鏡も……まるでバレエ教室みたいなでかい鏡だな、これ……
えっと……ベースのアンプはどれ? これかな……
「金山君、それギターアンプ!! ベースはそっち!」
 寺本さん、すいません……
 えっと……全部電源オフで、音量もゼロだね、これでシールドをつないで、アンプの電源を入れて……っと。
 他のメンバーも、それぞれの楽器を準備している。
 秋田はドラムについているシンバルのようなものの高さを調節したり、持ってきていたマイドラムのようなものを自分の左側に取り付けたりしている。
 寺本さんはギターをつないでいる……しかもなんか床に色々小さな機械のようなものが置いてあって、コード……じゃなくて、シールドがゴチャゴチャ繋がってるな……なんだあれ?
 稲葉さんは持ってきたキーボードにコー……違う違う、シールドを、何やらツマミがいっぱいついているパネルのような機械につないでいる。
 そして藤原さんは、稲葉さんに促され、そのパネルのような機械を同じようにいじっている。そうか、ボーカルも何か準備しないといけないんだ……
 だいたいみんな楽器のセッティングが終わると思いきや、まだ始まるわけではなさそうである。それぞれ、適当に音を鳴らしながら、何かを調整しているようである。その音色が、時々、いかにもエレキギターです、って音だったり、かと思ったら、妙にエコーが響いたりする。あの床に置いてある箱のような物で調整とか出来るのだろうか。
「準備できた? じゃあ……『恋の炎』からやってみる?」
『はーい』
「じゃあ、秋田君のカウントから入ってくれる?」
「オッケーです」
 いよいよ……初めて演奏を合わせるのか……この一週間、自分ではそれなりに頑張って練習したつもりだが、どうだろうか……
「ワン、ツー、スリー、フォー!」
♪わーたーしーのー こころーがー……
 そんなボーカルの出だしから入るこの歌。程なく全員の演奏に入る。もちろん、俺の演奏も入るところだ。そして……
 ドラムが。
 ギターが。
 キーボードが。
 そして、ベースが。
 それぞれはたいした音ではないのかもしれない。しかし、この四つの音が合わさって、スタジオの中に響き渡ると、いつもライブで聞くような、あんな感じの音になるから不思議だ。さっきそれぞれが音をそれぞれに鳴らしていたときは、ただの騒音にしか感じなかったのに、こうやって合わせると、騒音が音楽に変わるような……
 ……なんて余裕ぶっこけるほど今の俺には余裕はない。この辺まだ覚えてないんだよな……スコアの……このページか。ゆ、指が痛ぇ……

 演奏が終わった。
 まだスコアから目は離せないが、それでも演奏をメチャクチャにするほどではなかった……のではなかろうか。少なくとも俺はそう思うが……それより思ったことがある。
 ――藤原さん、歌うますぎだろ。
 このフォーステップスって、結構高音で歌うところとか当たり前のようにあるのに、それも難なくこなしてる感じがしたし、歌声自体も凄く力があって、なおかつ、歌声がすごく澄んでいる。普通に歌手としてテレビに出てもおかしくないだろ、これ……
「ごめんなさい、途中歌詞間違えましたぁ〜」
 いやいや、そんなの気にならないですよ……
「別にそこは気にしないでもいいよ、普通に歌凄いじゃん」
「いや、そんなことは……」
 ……俺が心で思っていたことを、このドラマーはサラッと口に出した……
「うん、藤原さんはもうその辺はあまり気にしないでいいよ、ここまで凄いとは思わなかったもん! んで……そうだな、金山君は精一杯っぽかったねぇ、ははは」
「そ、そうですね、すいません……」
「いやいや、大丈夫、去年の俺もこんな感じだったし、初スタは」
 そうなのか……色々な人から、この人は一年でここまで凄くなったと聞いているけど、本当なのかって疑いたくなる。
「じゃあもう一回合わせてみようか、なんかドラムがBメロのところで走ってた気がしたから、ちょっと気をつけてね」
「あ、は、はい! じゃあ、いきます……ワン、ツー、スリー、フォー!」


「お時間になりまーす、お疲れ様でしたー」
 スタジオの人がガチャリと重い扉を開けて、俺たちのいる部屋に入ってきた。二時間という予定でとっていたはずのスタジオだったが、とても二時間とは思えないように感じた。普段、大学で一時間半聞いている講義よりも短く感じた気がする。
 でもかなり疲れた。重たいベースを担いで、少しへろへろになりながら、その本当に分厚い壁とドアで阻まれた密閉空間を出てくる。続いて、他のメンバーも出てきて、ドアのすぐそばにある、銀行の待合室のようなソファーと小さなテーブルのあるところに座った。
「金山君、結構よくできてたと思うよ。でも、指使いが気になったかな。なんか人差し指しか動いてなかったように見えたから、そこはもうちょっと他の指を使えるように練習してみてね」
「あ、はい、わかりました……」
 寺本さんは本当に凄いと思った。自分の演奏もやりながら、周りの人もきちんと見えている。あの後もスタジオの中で、何やらリズムの取り方の違いだとか、ドラムのスピードだとかについても触れて、適切な指摘をしていた。
 寺本さんから色々指摘をされる俺は、ベーシストとして、その一歩を本当に今踏み出しただけにすぎないんだろうが、それでも、今日、こうやって他の人とあわせてみて、感じたことが二つある。
 まず一つ。
 楽しい。
 家でアンプにも繋がずに、ベチベチとまるで三味線のように弾いてるときと違って、こうやって他の楽器を弾く人と音を合わせることで、いかにも普段CDとかで聞いているような一つの「曲」になる。その感触を、どう形容したらいいのかわからないのだけれども、とりあえず、なんか楽しい。ベースはとても重くて、今にも肩がこりそうなくらいだけど、それもさほど気にならない。スポーツをやった後、「心地いい疲れ」を言う人がいるけど、なんとなくその気持ちがわかったような気がした。
 もう一つ。
 藤原さんの歌は、本当にうまい。
 さっきも感じたことだが、あの後もずっとスタジオの中で色々な曲を合わせていく中で、改めて感じる。今みたいに、スタジオを一歩出て、他の人と喋っているときは、俺が言うのもなんだけど、なんだかぎこちない。少し恥ずかしそうな顔をしながら喋っている感じだ。
「え、いや、そ、そんなことないですよぉ……私なんて、そんな……」 
 そう、まさにこんな感じの喋り方。
「いやー、でもそんなことないと思うよ。藤原さん、ホントに可愛いしその上に歌が上手いって、天使そのものじゃん?」
「て、天使って……わ、私……」
「秋田くーん、そのくらいにしておいてあげてよ、この子面識の少ない人とは本当にずっとこんな感じでしどろもどろにしか喋れないのよ」
 なんかまだ口説いている男が一人と、その口説きに慣れてないかのように戸惑う女が一人。さらに、その女を助けようとする女一人の姿がそこにはあった。ちなみに、もう一人の男は、受付に行って、店の人となにやら話をしている。その人が戻ってきたかと思うと、
「ちょっと盛り上がってるところごめんなさーい、今日のスタジオ代、一人一三〇〇円になりますんでお願いしまーす。来週も同じところ同じ時間で取ってるから、今度からは直接このスタジオに来てねー」
 せ、一三〇〇円……
 毎週一三〇〇円が飛ぶのか……四回入るって言ってたから、えっと……五二〇〇円? この間のベース買うのにも、何人もの諭吉さんのお世話になって結構危ない状態なのに……
 バイトでも、始めないといけないのかな……

「折角だから、この後みんなでご飯食べに行かない?」
「あ、いいですね、行きましょう!」
「私も行きます!」
「あ、じ、じゃあ、私も……」
 階段を上がり、再び地上の道路沿いに出てきたところで出た寺本さんの提案に、異を唱える者はいなかった。
「金山君は?」
「え!? あ、えっと……どこに行くんですか?」
「うーん、そうだねえ……この近くだと、この道をもうちょっと進んだほうにラーメン屋か牛丼屋、それにハンバーグレストランがあるけど?」
「あ、そうなんですか……」
「で、どうする? 行く? 行かない?」
「あ、えっと……じゃあ……僕も……行きます」
 想定外のイベント発生だったので、行くべきか行かざるべきか本気で迷った。でもなんかここで、「いや、今日は家に帰って食べます。なので今日は帰ります」とでも言おうものなら、空気の読めないやつとしていよいよ嫌われてしまうだろう。いや、嫌われてしまえば、さっさとこのサークルを抜け出せる良い口実になるのかもしれないが、なんかそれはそれで、上手く追い出されたような感じがする。さすがの俺でもそれはプライドが許さないだろうなぁ……
 
 空気を読んで、皆と一緒にレストランに来た。だが、この空気は、いやだ。
 何せ人と喋るのが苦手な俺。なんかさっきのスタジオのソファーに座っていたときにも感じていたことだが、今この座席に座った時点で、改めて感じる。俺一人だけ、この「ファイブステップス」というグループの中でも、輪から一人取り残されてはいないだろうかと。
 いくら藤原さんだって人と喋るのが苦手とはいえ、そばには稲葉さんという強力な助っ人がいる。だが俺にはそんな助っ人もいない。自分からは思うように喋れないし、発した言葉を上手く通訳してくれる人なんているわけがない。
「あのー」
 俺がそんな風に思っていたとき、不意に秋田の声がした。
「折角の機会だし、金山君のこと色々知っておかない? まだ俺たちって、金山君とそんなに喋ってきたわけでもないし、まだまだ俺たちが知らないことも多そうだし」
「おぉー」
「あ、いいですね!」
「うん、いいねー」
 なんということ。突如として秋田が、助っ人になった。人は見かけによら……いや、もうこれ言うのはやめておこう。
 かくして、なんかの雑誌やテレビ番組のような、怒涛のインタビューが始まった。
「なんで軽音入ったの?」
「いや、あの……大学に入ったらテニスか軽音かな、って思ってて……」
「好きなアーティストとかいる?」
「そうですね、ラル○とか……基本的に日本人が好きです」
「家、どこ?」
「横浜です」
「自宅?」
「はい、そうです」
「高校どこ?」
「港学園です」
「じゃあ、えーっと……熊田君ってわかる? えっと……熊田(くまだ)勇(いさむ)君」
「あ、熊ちゃんですか? 知ってますよ。確か……工学部?」
「そう、工学部の情報学科。同じクラスだし、結構仲いいんだよ」
「へー……どんな感じですか、彼?」
「いやー、不思議な人種だと思うよ。最初はすごく寡黙で、何を考えているのかわからないようなやつだったんだけど、喋ってみたら……なんて言うか、色々な趣味持ってて面白いやつだなって」
「あー……やっぱり変わってないですね。高校のときもそんな感じでした」
「芸能人で言ったら誰が好き?」
「え……そうですね、SunnySideの水原泉(みずはらいずみ)とかですかね」
「おー。どんなとこが?」
「え……まあ、歌うまいし、可愛いけど綺麗だし……」
「ってことは、水原泉みたいなのがタイプってこと?」
「んーと……まぁ、そうですね……はい」
「なんか『この名前で呼ばれたい』とかある?」
「え……そうですね、普通に苗字でいいですよ」
 こんな感じで、とにかく料理が出る前は勿論、食べている間中もなんか色々な質問をされた。中にはこんなの知って何になるんだ、なんて質問もあったが、とにかくまぁ、ずっと質問攻めにあっていたのである。おかげで食べた心地がしない。
「でも、すごいですね、港を出たって……。私の弟、港受けて落ちちゃったんで……」
「いや、学校自体はひどい学校だから……体育のあとなんか、夏の暑いときとか、平気で下のズボン脱いで授業受けるやつとかいるから……」
「え、でも、そんな人、私のとこにもいましたよ? 私の高校共学なのに、平気で女子の前でズボン脱ぐとか、信じられない男子もいましたし……」
「えー……ちなみに、どこの高校だったんです?」
「あの、栄陵学園高校っていうところで……」
「えー!? 普通に栄陵だっていいところでしょう?」
「いや、でも……そんなこと、ないです……あ、でも、さっき言ってた水原さんって、栄陵なんですよ」
「…………え?」
「そうなんですよ、あの二人って、どっちも栄陵なんです。で、もう一人のほうの狭山(さやま)さんが私と同学年で……」
「えーっ! じゃぁ、ひょっとして今も知り合い、とか?」
「いや、あの、私自身はそこまで知り合いじゃなかったです。単に学年が同じだっただけで……」
 でも、この質問責めの甲斐あってか、割とその後の話がスムーズにできるようになった。その結果、席を立ってからレジに向かうまでに、藤原さんと軽いお話ができるようにはなっていた。いや、ここまで深い話を知ってしまうと、軽いお話とは言いづらいのだろうか。
「それでは、デミグラスハンバーグのAセットで、お会計一二六〇円になります」
 食べた心地はしなかったが、食事代はきっちり取られた。さっきのスタジオ代とあわせてとんでもない出費だ。そう思うと、レストランの入り口ぐらいに置いてあったバイト求人のフリーペーパーに手が伸びていた。

 家に帰ってきたら、もう夜の十一時を回っていた。
 隣の家の二階の窓から、光が漏れている。
 そっか、あいつ、もう帰ってきてるのか……
 ……なんて悠長なこと言っていられない。レストランの中では全く気づかなかったのだが、どうやらあの夕食会中に、俺の携帯にメールが来ていたらしい。その内容が、「明日、ドイツ語の小テストが実施される」という、試験対策係、通称「シケ対」からのものだった。授業には毎回出てるのに、全くもって忘れていた。うちのシケ対さんは、本当に頑張り屋さんだと思う。毎度毎度、テストやら提出物やらがある度に、ちゃんとクラス中の人にメールでお知らせしてくれているのだから。吉川のクラスのシケ対は全然仕事していないとか言ってたしなぁ。
 部屋に入った俺は、ベースも隅っこに置いて、机の上に積み上げられた、漫画本やら講義に関係があったり無かったりするプリントやレジュメやらの山をとりあえず床に放り投げて、とりあえず一晩だけでも勉強が出来る態勢を整えた。
 えーっと……範囲は十五ページから二十四ページまで……ヴォ・ヴォーネン・ズィー? って問いかけだから、確か……イッヒ・ヴォーネ……

「あぁぁぁ〜〜っ、終わったぁあああああ!」
 とりあえずテキストの試験範囲は一回りした。後は明日じっくり確認すればいいだろう。どうせドイツ語の時間は夕方なんだし、それまで空いている時間を使えば、まぁなんとかなるはずだ。
 時計を見たら、もうとっくの昔に日付変更線は越えている。もう二時か……眠いわけだ。寝るか……
 電気を消し、ベッドに入ろうと思ったそのときだった。窓の外が何やら微妙にぼやけているが明るいことに気がついた。カーテンを少し開け、窓の外を確認したら、さっき俺が帰ってきたときに光が漏れていたあの部屋が、まだ明るいままだった。
 本当に頑張ってるんだな、あいつ……
 どこの大学を受けようとしているのかは知らないけれど、その大学によほどの思い入れがあるのだろう。でも……六月で既にこんな感じのことしていたら、冬まで体がもたないんじゃないか? 大丈夫なんだろうか……って、なんで俺、ここまで朝倉のこと気にしているんだ?
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